平成以後の音MADについて考えてみる












この記事は音MAD Advent Calender 2018に参加しています。













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音MADは非常に曖昧である。
MADテープに始まり、動画サイト『ニコニコ動画』の開始と共に現在まで発展してきたアングラの文化。ここで一つ、平成という時代のポイントを区切りにして、音MADについて考えてみようではないか。
私自身もこの界隈に居る期間は短く、大層な事を言えるような経験は持ち合わせていないが、自己の反芻の為にもこういった記事にしている。
平成以後の音MADについて書く前に、まずは今までの音MADを振り返ろうと思う。


90年代~ゼロ年代のMAD群 静止画MAD,Flash,ムネオハウス

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kanon』 - awareness(~2000?)
神藝工房より発表された静止画MADの一つ。現在のMADに劣らないクオリティだ
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『巫女みこオンドゥル』 - えむくろ(2004)
Adobe Flash※1(いわゆる"Flash")で制作されたMADの一つ。
ゴリ押しで発生する原始的な笑いがそこにある
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THE MUNEO HOUSE PV - MUNEO HOUSE(2002)
2ちゃんねる発祥の音楽ムーブメント「ムネオハウス」。音MADの"音"に繋がる部分が読み取れる
今日「音MAD」と呼ばれている動画群の根幹は、「静止画MAD」「Flash」「ムネオハウス」これら3つにあると言っても過言ではない。どの動画にも、既存のコンテンツを素材とし、それを使って新たな解釈を行うという過程が含まれている。音MADのルーツはニュトーイ氏のブロマガに、MADの解釈についてはyuu氏のブログにより分かりやすく書かれているため、そちらを参照して頂きたい。今挙げた3つの動画にある面白さは、2018年現在においても変わることは無く、一定の価値を持ち続けているだろう。
※1 旧Macromedia Flash


2016~2018年の音MAD ニコニコ動画摩天楼合作,音MADLIVE.XXX,音MAD DREAM MATCH

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『【音MAD晒しイベント第100回記念】ニコニコ動画摩天楼合作』 - namacream_ ほか(2016)
「音MAD晒しイベント」の100回記念として企画された合作。音MAD界隈では大好評となり成功を収めた
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『音MADLIVE.XXX』(2017年開催)
音MADの派生形である「音MAD-mix」をニコニコ生放送で配信するイベント。
企画の斬新さも相俟ってDJライブのような興奮を見せた
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『音MAD DREAM MATCH』(2018年開催)
音MAD作者同士で「マッチング式2人合作」を行い、完成した音MADを一挙放送するイベント。
Twitter国内トレンド一位を飾り、音MAD史上最大の盛り上がりとなった
以前から音MAD界隈では「音MAD晒しイベント」や「音MAD作者が選ぶ音MAD10選」など、定期的にイベントが開催されてきた。2016年以前にも「音MAD対抗戦」や「一晩合作」といった印象深い企画はあったが、2016年以降のイベントは音MADの新たな可能性を見出してくれたといえる。
ニコニコ動画摩天楼合作(以下「摩天楼合作」と表記)以降、音MAD作者オリジナルのストーリーが展開される『音MADユニバース』が新たなアイデアとして定着してきた。また、音MADLIVE.XXXでは『音MADを同時体験する』という感覚の面白さを引き出し、音MAD DREAM MATCH(以下「音MDM」と表記)ではマアム氏※2によるパフォーマンスが視聴者を惹きつけた。今回は「音MADユニバース」と「音MDMでのマアム氏の試み」を取り上げる事にする。
※2 正確にはマアム氏、劣等星氏のコンビ「にゃんこ孫にゃんこひ孫にゃんこ」だが、どちらも発案はマアム氏であるため、今回は「マアム氏」と記載する。


さて、大まかにこれまでの音MADを振り返ったところで、ここからは平成以後の音MADに軸を置いて書いていこうと思う。


素材の枠から飛び出した「音MADユニバース」、その強みとあり方

この概念が生まれてきたのはつい最近の話である。以前から「素材側に本来設定されていないストーリーを独自に組み立てる」といった試みはされていたが、ここ1~2年でその動きが急激に活発になったように思える。今年開催された音MDMでもそれに該当するような作品が幾つも見受けられた。
音MADユニバースの面白さといえば、やはり音MADというコンテンツとストーリー性のギャップにあるだろう(と個人的には思っている)。大サビではさながらバトル漫画のような展開になるが、そこにいるキャラクターは大便器に跨る男児うんちだったりする。それを見た時、「この素材でここまで壮大にやるか!?」という感想が湧いてくる視聴者がほとんどだろう。まさにそのパワー※3こそが他の音MADには無い強みである。
しかし、その一方でこのムーブメントには欠点も存在する。それがいわゆる"量産"と呼ばれる行為である。
音MADユニバース自体には先述したように大きな魅力がある。だが、それに目をつけて「自分も音MADユニバースを作りたい!」と思った後発の音MAD作者たちは、我先にといわんばかりに音MADユニバースの動画を投稿する。勿論、他人よりも早く投稿することで注目を浴びやすいが、その流れを継続してしまうと、音MADの質よりもスピードが重視され、ストーリーの中身がおざなりになってしまう。最も作者自身の想像力が問われるこのジャンルでは、その部分を無視しては成立し得ないのだ。
音MADユニバースのような、音MADとしての大きなジャンル区別は大変珍しく、貴重なものである。だからこそ、一ジャンルとしての立ち位置を確保するには、質を重視して長期的に消費していくことが重要ではないだろうか。
※3…ここでの「パワー」は疾走ざぶんぐるで提示された「パワー系音MAD」とは異なるものである。


「封印されし音MAD」「マイマイマアム」から見える音MADの可能性

MDM開催以前より注目を集めていたコンビ「にゃんこ孫にゃんこひ孫にゃんこ」。優勝こそ勝ち取る事が出来なかったものの、彼らの残したものは我々に大きな衝撃を与えた。
肝心の音MADは作業用BGMとして扱われ、もはやそれ自体を"音MAD"と呼べるかどうかすら危うい「あのJKvtuberを手描きしてみた」。作者自身が素材となり、制作した動画を新宿アルタビジョンで放送した「マイマイマアム」。5つのバラバラな動画を同時再生する事で初めて1つの音MADとして完成する「封印されし音MAD」。同イベント参加者へ合作を持ちかけ、提出されたパートを盗撮映像のモザイクとして扱った「音MDM合作」。これら4つの動画はどれも今までの音MADには当てはめがたいものとなっている。(そもそもイベントに複数の動画を提出した時点で私としては意外だったが…)
私は普段音MADを視聴する時、"動画サイト"から"1つの動画"を見たり聴いたりしている。おそらく皆さんもそうだろう。そんな事は当然なのだが、今回発表された「封印されし音MAD」「マイマイマアム」は"動画を視聴する"という上での普遍的観念を打ち破った。
この2つの動画は平成以前の音MADでも非常に価値の有る物となり、平成以後の音MADの発展において重要な糸口となる事を私は確信している。彼らと同等の発想力を身に付けろとまでは言わないが、改めて世界を俯瞰し、常識を疑うことが、より良い音MAD制作に繋がると感じている。






おわりに ~ これからの音MAD

私の文章構成力が未熟であること、そして、「平成以後の音MADについて考えてみる」というタイトルをつけておきながら、過去の物を基軸に展開してしまったことをどうかお許し頂きたい。最後に、『これからの音MAD』に対する考えを軽く述べて筆を置くことにする。
私は「二次創作からの脱却※4」が重要なキーワードになるだろう、と考えている。例えば、アニメのオープニングを原曲にして音MADを作る場合、原曲側の情報として「アニメのオープニング、あるいはそのアニメ」が土台にある。そこに素材を乗せることで、素材側の「空耳、特徴的な音程合わせ」といった情報が加わる。このように、今までの音MADは「既にあるコンテクストを掛け合わせ、新たな解釈を生み出す」というものが基本だったと感じている。しかしこれではそれらのコンテクストの範疇でしか内容を広げる事ができず、普遍的な音MADになってしまう。今後もし音MADで注目を集めたいのであれば、原曲や素材だけに頼らず、己の発想を最大限に活用していくべきである。勿論、原曲や素材に依存した方が面白いものになるならばそちらを優先して貰って構わないし、そこは自身で取捨選択していく事が必要となる。
平成も終わりへと近づき、音MADは大きな転換期に差し掛かっている。他人の著作物を勝手に盗んでいるような輩の巣窟だが、ネットユーザーからの人気を維持し続けているのもまた事実だ。
音MADは料理であり、キマイラであり、宇宙である。今一度我々は音MADについて再考し、この文化を停滞させないように行動すべきではないだろうか。
※4…ここでの二次創作とは、原曲と素材のみに依存したMADを指す言葉である。上で引用したyuu氏のブログに「MADは二次創作ではない」という記述があり、誤解を招く恐れがあったためここで補足した。